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2021年2月17日 (水)

休業要請と補償をワンセットにするのは間違ってる。

    コロナ禍で、休業要請すると補償するのが当然と考えるのは間違いです。倫理学から言うと、他者の危害になる場合は、自己決定権が制限されるのは、基本原則です。自由を享受できるためには、その限界も合わせて承認しているはずなんです。それは小学校の低学年でさえ知っています。木に登っているのを、「危ないよ」と大人に注意されて、「ひとに迷惑かけてないからいいじゃない」くらいの理屈をこねる子はいますよね。これは他者危害原則に抵触しないと、言ってるんです。
    国が休業要請するのは、コロナがうつる(他者危害になる)からです。そういう場合は休業(自己決定権が制限される)のは当たり前ですから、受け入れるのが当然なのです。休業要請するから、補償する、と言うのは倫理学的には破綻した考え方だと思います。

    「それじゃあ困る人が大勢出るし、結局、国の経済が崩壊するじゃないか」、という意見が起こってくるでしょう。もっともです。だから休業要請⇒補償、が間違いで、休業要請⇒経済の混乱・失業者の増大⇒補償、ならいいんです。
  「ただの理屈だ。結果は同じじゃないか」と言う人もいるでしょうが、それはちがいます。理由は2つです。①「休業要請するから」補償するのと、「経済的な混乱が起こるから」補償するのでは、補償の相手、範囲、規模が異なってくるはずです。「休業要請するから」という考えは、枠が大きすぎて、あいまいです。これが補償に際しての混乱のひとつの原因のようにも感じています。
   ②自由はわれわれ社会の基本的な倫理観です。しかし抽象的なので、具体例が起こったさいに、きちんと確認しておく必要があります。その場限りの情緒的な対応では、せっかくの自由という権利が曖昧なものになってしまうでしょう。
     では具体的に、補償の相手、範囲、規模はどうするのか。それは経済の専門家の仕事です。倫理学がすべての問題に詳細に答えることはできません。一知半解の発言こそ、非倫理的な行為です。ここが経済学にバトンタッチする地点になると思っています。

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