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2021年2月17日 (水)

『麒麟がくる』では秀吉像が印象に残りました。

   歴史ドラマの楽しみ方は人それぞれです。今回、描かれている人物像は、新しい視点で、かつ納得できる性格になっていた人物が多かったと、僕は感じました。
 今回のドラマで一番新しかったのは、秀吉の描き方だったと思います。「仕事のできるやつ」。光秀が一緒に仕事した時分の秀吉だから当然ですが、この面を前面に打ち出した描き方は、これまで視聴した範囲では思い出せません。
 秀吉といえば、猿に象徴される顔、剽軽、面白さ、俗っぽさと、逆に、最下層から成り上がった者が持つ、人間や社会に対応できる能力、ハングリーな向上心などを複雑に兼ね備えた人物、というのが普通の表現法で、あまりに複雑なのでどの面かを限定的にしか出せないようでした。それでも秀吉に共通する基本は、明るい、ニコニコ顔の秀吉でした。
 しかし今回は「仕事のできるやつ」を前面に出して、ニコニコが少なく、かつ、成り上がり者の品のなさも良く描けていて、これまでにない秀吉の面が出ていました。

   無論これでも1つの面に過ぎず、物足りなさはまだ残ります。『真田丸』での秀吉の優しさと怖さの2面性は説得力がありましたが、それでも、これだけかと物足りなさは残りました。秀吉はほんとうに難しい。
 次に、信長にも感心しました。明るい合理主義者。派手好みの冷酷な男。うまく演じていました。これまでの描き方では、秀吉が基本ニコニコだったのに対して、信長は冷酷、神経質、果断など、笑顔が少ないのが基本でした。しかし今回は、秀吉の基本厳しい合理性丸出しに対して、信長は一貫して基本ニコニコで、従来の信長と秀吉の描き方がひっくり返っていたのが特徴でした。

 確かに、冷酷な合理主義者でも、朝から晩までそんな顔をしていたわけではなく、特に信長は安土城など派手好みな面もあり、基本ニコニコでも、十分納得できました。最初、信長が出てきた時は、「このニコニコ信長じゃあダメだ」とガッカリした人は多かったでしょう。が、回が進むにつれて、だんだん凄みが増して来たのは、役者さんの力量なんでしょう。
 家康饗応の際に光秀を蹴った場面も、家康への警告という意味付けで、最後まで光秀を信用していたという解釈には、頷かされました。秀吉、信長については今後も、様々に描かれるでしょう。これが決定版だというのは難しいでしょうが、今後も楽しみにしておきましょう。
   それで肝心の光秀はどうなんだ、という声が聞こえてきそうですが、長くなるので次の回に。

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