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2021年2月27日 (土)

 東村アキコさんの漫画『東京タラレバ娘』は純文学だ。

 前のブログで東村アキコさんの『東京タラレバ娘』について少し触れたので、この漫画の印象を書いておきます。テレビドマ化されたようですが、それは見ていません。

 30才過ぎの仕事持ちの独身で友人同士の女性3人が、女子会でそれぞれの恋愛に悩んでいる。「もし~だっタラ」、「こうすレバ」とあれこれ迷うので、結局はっきりと決断できないまま、ずるずると30代前半を、焦りながら、生活しています。ストーリーはありきたりの日常生活ですが、表現力が凄い。絵と文章が調和している。

 これまで読んだ範囲の漫画では、微妙な心理描写が小説ほどには伝わって来なかった。それが漫画の限界かと思っていました。漫画は文字に敵わないのではないか。しかしこの作品は違う。漫画にしかできない表現だと言いたい。文章で表せば数行は必要な場面を、眼や鼻の1ミリほどの微妙な線の変化だけで表せている。この漫画は、純文学の香りがしました(だからいい、と言ってるんじゃなくて、そんな読後感だというだけです)。

 恋人との関係や、職場では若手に追い上げられたり、主人公たちは、相当深刻な状況のはずです。それを漫画にしかできない軽さで、深刻さを優しく包んだので、悩みが暗くならない。漫画描写は優しいので、かえって彼女たちの悲しみがしみじみと伝わってくる。文章だと、こういう表現はできないのでは、と思わせるほどの作品です。純文学の雰囲気を、純文学以上に描写できている。味わいのある作品だと感じました。

 もうひとつびっくりしたのは、作者が、巻末の文章では、この種の女性に必ずしも共感していないことでした。むしろ、冷静に、突き放して見ている。作者さんと作品の関係にぎょっとしました。

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