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2021年4月30日 (金)

二宮金次郎はもういない。

入学式と言われて思い出したのは、長男の小学校の入学式の日の光景です。

うちの子の入学した小学校は、広大な団地に併設されて、創立からそれほど時間も経っていませんでした。郊外なので運動場は広くのびのびと、校舎は、軽やかなクリーム色で、入学してくる生徒たちを笑顔で迎えているようでした。生徒数の少ない教室には、テレビや個人用のロッカーなど、僕が子供のころの小学校とは、くらべものにならない設備です。校門の桜の花は同じでも、それは学校全体の明るい雰囲気をさらに引き立てていました。

僕が入学した小学校は、古い木造の校舎が、勉強とは、難しく深遠なものであることを、いかめしく象徴しているようでした。自分が通っていた小学校の重苦しい雰囲気とはちがう、この明るさになじめませんでしたが、運動場の端に立っていて、ふとその原因のひとつに気がつきました。校長先生がお話をされる朝礼台はある。その後ろに国旗掲揚のためのポールもある。しかしそのそばに、二宮金次郎の像がなかった。

転校した僕はふたつの小学校に通学しましたが、どちらの学校にも二宮金次郎の像はありました。夏休みに遊びに行った従兄弟たちの小学校にも、その像はやはり校舎の正面に立っていました。柴を背負い、本を読んで、どこの小学校にも二宮金次郎はいました。その姿は、刻苦勉励という学生の徳目が、質素勤勉という人生のあるべき姿に繋がることを、教えているようでした。

学びを、楽しく朗らかに始めるのに反対する人はいません。みんなが、いつでも、幸せな人生こそが、われわれの社会が目指していることでしょう。なので現代では、学校生活の初めに、子供はすでに幸福であるべきなんでしょう。しかし学校は子供たちを優しく受け入れても、卒業すると、社会は学生をにこやかに迎えてはくれません。新社会人のかなりの%が、数年以内に離職することを、どう考えるべきなんでしょうか。社会でそこそこ幸福に生活するための、学校教育の基本はどうあるべきなんでしょうか。

戦後に建てられた団地の小学校に、金次郎の像を寄付しようとする篤志家はいなかったんでしょうつぎはぎの衣服で、柴を背負い、本を読み、ひとつの時間を二つに使って、大変な集中力で物事に立ち向かう。それは二宮金次郎でなくても、井深大でも本田宗一郎でも孫正義でもいい。しかし、人は皆、幸せでなければならない。そのための基本は、自由であり、多様性だ。苦学力行だけを押し付ける必要はない。自由なんだから、自分で努力しなさい。そうなるんでしょうね。

校庭はバスケットボールやサッカーの設備でにぎわい、新1年生も親達もきれいな服装です。二宮金次郎はもういない。

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