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2021年12月

2021年12月29日 (水)

晴天を衝け③長生きする方法

「晴天を衝け」が終わりました。平均視聴率も14%のようで、これは僕の印象と同じでした。納得しがたい所もなく、分かりやすく作ってあったからだと思います。後半視聴率が落ち気味なのも、僕の印象と同じです。やはり激動の江戸末期前後の方が、見ごたえがあるんでしょう。

ドラマが渋沢のすべてを表している訳ではないでしょうが、大筋として、随分、充実した人生だったことになりますね。彼の生活は、活躍する人に共通した面が見られると思います。勤勉で、いつも前向きで、多方面に関心を持っている等です。

彼に特徴的な面と言えば、きわだった長寿でしょう。今では91歳まで生きるのは珍しくありませんが、1840年生まれの頃の平均寿命は40歳代のようですから、平均寿命の倍ちかくは生きたことになります。同業だけで比べても、五代友厚49歳、岩崎弥太郎50歳、ドラマの中ではかなり老けていた三井組の大番頭三野村利左衛門でも55歳です(和暦での計算なので少しずれるかもしれません)。もっとも両親とも63歳まで生きていますから、比較的長寿の家系とも言えるでしょう。

健康の秘訣を聞きたいところですが、よく仕事をし、食べる等々、普通の長寿の人とあまり変わらない。その中でただ一つ僕が興味を持ったのは、よくしゃべるということです。子供の頃からよくしゃべっていたと何度も言われてましたね。この性格は、あまり他の人の例を知りません。

しゃべるというのは身体的な行為ですしかしよくしゃべるのは、色々物事を考えているからです。ところが物事を考えてもしゃべらない人もいる。考えるという精神的行為と、しゃべるという身体的行為を合わせて行ったことが、心身共に健康だった要因の一つかもしれませんね。もちろん考えている内容によります。自分の昔話ではなく、社会の在り方などでしょう。そのためには時事に気を付けていなければならない。勉強も必要だ。

困るのは、年を取ってからもしゃべっていると、周囲から嫌われる。それを示唆する場面もありました。それでも構わずしゃべり続けたのでしょう。そうまでして長生きしたいとも思いませんが。

2021年12月28日 (火)

恋人たちは、人類史上初めて、自由に会えるようになりました【昔の思い出】。

むかし、むかし、ある所に、一組の恋人がました。娘には父親がおりました。

僕の昔には、携帯もスマホもなかった。はじめて携帯を持って、一番便利だと思ったのは、待ち合わせだ。絶対に行き違いになることがない。

携帯もスマホもなかった高校生の頃、デートの待ち合わせは本屋さんにしていた。どちらかが遅れた場合にも、時間はつぶせるし、相手との話題にも事欠かない。美術館を待ち合わせ場所にしている友人もいた。同じ理由だろう。とにかく待ち合わせ場所と時間の設定には、来られなくなった場合、遅れる場合、友人に出会った場合、などを想定した細心の打合せが必要だった。

しかしあらかじめ相談が出来ないことも、しょっちゅうある。すると一番やりたくないことを、しなくてはならない。相手の家への ☎ 。恐る恐る番号を回します。先方の父親が ☎ に出た時の絶望的な気持ち。

先方のオヤジも、不機嫌そうだ。奥に向かって「〇子、電話だよ」ならいいほうだった(受話器は普通、玄関に置いてありました)。「〇子?・・・・・・。おらん」、ガチャンと ☎ を切られた友人もいました。これに対しては、悪口雑言、罵詈讒謗(ばりざんぼう)、あらゆる悪態をつきたくなったものです。キルケゴールは、絶望は死に至る病だ、と言いましたが、そんな生易しいものじゃない。死も突き抜けた深い闇に落ちて行くようだった。これは僕だけではない。多くの男の子の体験のはずです。

五木寛之氏が「青春があんなものなら、二度と青春時代に戻りたくない」と言っておられた(うろ覚えなので正確な引用ではありません)。同感です。かなりの人は、それぞれの意味で、青春をそのように振り返るのではないでしょうか。この言葉は、広く、深い意味を持ってはいますが、僕は ☎ の体験も含めたい。無論そうでない人もいるでしょうが。

そもそも一般に、高校生前後の年から、結婚前までの時期に、付き合ってる女の子との連絡に ☎ を使うようになったのは、普及の状況からして、1960年代後半くらいからではないでしょうか。携帯、スマホが普及するのは1990年代後半のようですから、上記の経験を持つのは、これくらいの間に、青春時代を過ごした世代に限られます。

若い男女がデートするという風習は、戦後のものでしょう。しかし恋愛はいつの時代でもあるから、連絡が大変難しい。☎ の前はどうだったか。手紙しかありません。戦前は、異性に手紙を出すということ自体が、不道徳とされていて、手紙が見つかれば、退学もあった。僕たちの父親はそういう雰囲気の中で育ったので、不機嫌になったんでしょう。

そういう時代に、手紙を書く、それを投函する、あるいは相手に渡す、その時のドキドキした気持ちが、今ではよく分からなくなった。『万葉集』には夜這いの歌がある。この風習は、地方によっては大正のころまではあったそうです。これについての研究はあるようですが、その時の男女のドキドキ感までは、伝わって来ません。ですから、父親が電話口に出て来て、不機嫌な応対をする時代の話は、民俗学的な資料になるのではないか、とさえ思えてきます。

今、思えば、あの頃の僕たちは、道徳観と通信手段の転換が重なった時代にいたようです。それもつかの間、すぐ後に大転換期が来るとは、想像もできませんでした。

むかし、むかしある所に、一組の恋人がいました。娘には父親がおりました。その社会にはスマホがありませんでした。

携帯、スマホは恋人たちにとっては革命になったのです。恋人たちは、人類史上初めて、自由に会えるようになりました『万葉集』から に連なる、旧世代の最後に属してしまった僕は、やけになって叫ぶしかありませんね。

スマホ万歳!恋人たち万歳!\(^O^)/ \(^O^)/ \(^O^)/

 

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