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2021年12月28日 (火)

恋人たちは、人類史上初めて、自由に会えるようになりました【昔の思い出】。

むかし、むかし、ある所に、一組の恋人がました。娘には父親がおりました。

僕の昔には、携帯もスマホもなかった。はじめて携帯を持って、一番便利だと思ったのは、待ち合わせだ。絶対に行き違いになることがない。

携帯もスマホもなかった高校生の頃、デートの待ち合わせは本屋さんにしていた。どちらかが遅れた場合にも、時間はつぶせるし、相手との話題にも事欠かない。美術館を待ち合わせ場所にしている友人もいた。同じ理由だろう。とにかく待ち合わせ場所と時間の設定には、来られなくなった場合、遅れる場合、友人に出会った場合、などを想定した細心の打合せが必要だった。

しかしあらかじめ相談が出来ないことも、しょっちゅうある。すると一番やりたくないことを、しなくてはならない。相手の家への ☎ 。恐る恐る番号を回します。先方の父親が ☎ に出た時の絶望的な気持ち。

先方のオヤジも、不機嫌そうだ。奥に向かって「〇子、電話だよ」ならいいほうだった(受話器は普通、玄関に置いてありました)。「〇子?・・・・・・。おらん」、ガチャンと ☎ を切られた友人もいました。これに対しては、悪口雑言、罵詈讒謗(ばりざんぼう)、あらゆる悪態をつきたくなったものです。キルケゴールは、絶望は死に至る病だ、と言いましたが、そんな生易しいものじゃない。死も突き抜けた深い闇に落ちて行くようだった。これは僕だけではない。多くの男の子の体験のはずです。

五木寛之氏が「青春があんなものなら、二度と青春時代に戻りたくない」と言っておられた(うろ覚えなので正確な引用ではありません)。同感です。かなりの人は、それぞれの意味で、青春をそのように振り返るのではないでしょうか。この言葉は、広く、深い意味を持ってはいますが、僕は ☎ の体験も含めたい。無論そうでない人もいるでしょうが。

そもそも一般に、高校生前後の年から、結婚前までの時期に、付き合ってる女の子との連絡に ☎ を使うようになったのは、普及の状況からして、1960年代後半くらいからではないでしょうか。携帯、スマホが普及するのは1990年代後半のようですから、上記の経験を持つのは、これくらいの間に、青春時代を過ごした世代に限られます。

若い男女がデートするという風習は、戦後のものでしょう。しかし恋愛はいつの時代でもあるから、連絡が大変難しい。☎ の前はどうだったか。手紙しかありません。戦前は、異性に手紙を出すということ自体が、不道徳とされていて、手紙が見つかれば、退学もあった。僕たちの父親はそういう雰囲気の中で育ったので、不機嫌になったんでしょう。

そういう時代に、手紙を書く、それを投函する、あるいは相手に渡す、その時のドキドキした気持ちが、今ではよく分からなくなった。『万葉集』には夜這いの歌がある。この風習は、地方によっては大正のころまではあったそうです。これについての研究はあるようですが、その時の男女のドキドキ感までは、伝わって来ません。ですから、父親が電話口に出て来て、不機嫌な応対をする時代の話は、民俗学的な資料になるのではないか、とさえ思えてきます。

今、思えば、あの頃の僕たちは、道徳観と通信手段の転換が重なった時代にいたようです。それもつかの間、すぐ後に大転換期が来るとは、想像もできませんでした。

むかし、むかしある所に、一組の恋人がいました。娘には父親がおりました。その社会にはスマホがありませんでした。

携帯、スマホは恋人たちにとっては革命になったのです。恋人たちは、人類史上初めて、自由に会えるようになりました『万葉集』から に連なる、旧世代の最後に属してしまった僕は、やけになって叫ぶしかありませんね。

スマホ万歳!恋人たち万歳!\(^O^)/ \(^O^)/ \(^O^)/

 

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