人生を豊かにするのは、小さな冒険である。
ブログを始めてしばらく経って、2カ月で3題、お題の公募があるのに気が付いた。それまでの入選作を読んでみると、役に立つ内容や、ホロリとさせられる文章だったりするし、たいがい写真も付いている。枠組みのいろどりも豊かで、いろいろ工夫がしてあり、親しみやすいものになっている。
そういうことを見るにつけ、文章だけが表現手段じゃないと、つくづく思った。それはとてもいいことだ。色々な表現手段の中から自分に合った方法を、それも1種類だけではなく、何種類も組み合わせて表現する。文章自体も、型に捉われてなくて、自己表現がしやすい良い時代になった。こういうことは前から感じていたので、この種の自己表現の場に、僕の出る幕はないんだろうと思っていた。
お題も、普段あまり考えたことがないようなテーマで、これについて役に立つような文章なんかとても書けない。カメラも持っているが、写真は記録のために撮るだけで、ほんとの素人だし、絵や漫画なんかはとても無理。だからブログは文章だけで愛想がないし、それ以上の飾りのようなものも付けていない。そんなことで、せっかく応募しても落ちるんじゃあ、気が滅入るかなあ、とも思った。
それでも書けそうなお題があったので、軽い気持ちで出してみた。応募したのも忘れていて、ある日、入選にして貰っているのに、たまたま気が付いた。写真も付けず、文章だけで、今風の文体でもなく、論調は堅いし、こんな表現法でもいいと思ってくれたのかなあ、と素直に嬉しかった。古い表現方法も、多様性のひとつとして残るのだろうか、とも思った。
それからお題に投稿するようになった。やってみると、普段使わないような頭の使い方をしていて、視野が広がる気がするようになった。
大きな冒険だと大きな失敗も覚悟しなければならない。小さな冒険だと、得られるものも少ないはずだ。しかし、お題に応募するという小さな冒険で、自分の表現法でもいいんだという、純粋な喜びが得られた。それだけでなく、お題が提示する内容について考えるから、思考の世界がずいぶん広がって、自分の頭の使い方の可能性も知ることが出来た。この小さな冒険では、とても豊かな気持ちになれた。今回で定期的なお題は無くなるそうだ。1年くらい続けていたので、寂しいが、いい経験をさせて貰った。
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