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2022年3月26日 (土)

時間を越えて生きる。

時間を、長いとか、短いとか感じることで、僕たちは、2種類の時間を無意識に使い分けていることに気が付きます。

人間の都合に関わらず、時間は均一に流れ続けています。この時間では、時間の長さが重要になる。会議が何時から始まって、何時に終るとか、駅まで歩くと45分かかるが、バスだと15分で着くとか、学校を卒業してもう40年にもなるとかです。時間は均一に流れているから、長さも一律に計算できる。

ところが、愉快な飲み会だと、待ち遠しいし、始まったら短く感じる。つまらない会議は長く思える。つまり、好き嫌いがある事柄だと、時間は一律に流れて行くのではなく、好き嫌いの度合によって、長くなったり、短かく感じたりしています。つまりこの時間には客観的な長さはありません。

もちろん時間が2種類あるのではなく、僕たちが2種類の時間を無意識に使い分けているのです。

時間の要素は、現在、過去、来未です。僕の未来はどんどん近づいて来て、現在を過ぎ、過去になっています。このように、僕たちは、一律に流れている時間の中にいて、刻々と年を取っています。ところがそれに拘束されている訳でもない。というのも僕たちは流されてはいるけれど、いつも現在にいるからです。

だから、僕たちは過去や未来を飛び回れます。現在から過去へ飛んで、小学校の頃の初恋の想い出に浸っ次の瞬間、現在から未来に行って、 1カ月後の外国出張の予定を立て、それからまた過去に戻って、20年前に亡くなった親友のことを思い出したりしています。

僕たちは死後の世界にも行けます。生命保険に入る時、自分が死んだ後のこの世界で、子供たちが僕の葬儀をし、保険会社からお金を受け取っている様子を、死んだ僕は上空から眺めています。実際に僕たちは、過去や未来の好き嫌いのある事柄を飛び回っている。

もちろん現在にいて、桜の花がもう少し長く咲いていて欲しい、と思ったりもします。

この客観的な長さがない時間を知っているから、多分、多くの人は幸せを感じることができるんでしょう。一律に流れている時間の中だけだと、人生はどんどん流れて行くばかりです。それはつらい。

僕も平均寿命まであと何年、と数える年になりました。それは一律に流れる時間の中の真実だ。だが、それでも僕は、今日も現在にいて、自分の過去や未来さえ、はるかに飛び越えて、ビッグバンを考えたり、宇宙の終わりでさえも想像しているのです。

その時僕は、間違いなく、諸行無常を越えているのです。

 

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