ウクライナの戦争では、関係国すべてが、同じ理想を掲げている。
ウクライナの戦争を見ていると、不思議に感じることがあります。
現実には、ひどいことが次々に明るみに出ています。その責任を指摘されると、ロシアは、そんなひどいことは自分たちがやったんじゃない。ウクライナ側がやったことだ、と言っています。しかし事実として、こういう残虐な映像もあるじゃないか、と非難されると、それはウクライナの俳優がやっていることだ、と主張します。つまりロシアは自分たちは悪いことはしていない、という言い分です。
自分たちは正しいことしかしない。それどころか、ウクライナの市民にZの印がついた食料や医療品を与えている、とそういう映像を証拠として示します。それから選挙という民主主義的な手段で、ウクライナ人たちが自分たちの意志でロシア側に着くことを選んだ、と言っています。
むろんウクライナ側もロシア兵士の遺体を丁寧に扱っているとか、人道的な正しい行いをしていると主張しています。
つまり両方とも、自分たちは民衆を大切にするという「同じ理念を共有している」のです。俺たちは強いんだ、だから俺の言うことを聞け、とは公言しません。あくまで市民たちを大切にするという正しいことをしていると言っているのです。
戦争の際に、敵味方が「同じ理念を共有している」ことがあったのか、僕は詳しくは知りませんが、第二次大戦についてはそういう感じは受けない。
現在、北朝鮮では、民衆は物質的には満足できるような状況ではないと報道されています。しかしその国名は、朝鮮民主主義人民共和国、なのです。ここでも人民と民主主義が理念として掲げられています。
建前や宣伝だとしても、現代では民衆や民主主義を尊重している、と言わねばならないのです。
これまでの戦争では理念を共有することはなかった。両方が自分の理念を言い立てるばかりでした。つまり現代では、世界は「同じ理念を共有している」、あるいは共有しないと、悪い奴だと非難される。現実には残酷なことが次々に起こっているのですが、悪い奴だと言われたくはない。この点では、人類は昔より進歩したと言うべきなんでしょうか。
それでも現実は昔の戦争と同じく残酷です。「同じ理念を共有している」所まではようやく進歩したので、さらにもう一歩進歩するには、どうすればいいんでしょか。
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