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2022年9月 1日 (木)

「コロナ禍」という言葉は、不適切に使われ過ぎではないか。

「コロナ禍」という言葉 が、今の状況でしばしば使われるのは、止むを得ないとしても、僕は使用法がどうも変だと感じている。

ニューㇲ番組で「コロナか」と言っていると、僕はまず「コロナ下」と思ってしまう。というのも、「コロナ禍」だと、「コロナ(という、あるいは、による)わざわい」という意味なので、後に続く文言によって、文章がしっくりしないことが多いからだ。一方「コロナ下」は「コロナ(という状況)下」の意味である。

まず「コロナ禍」でいいと思えるもの。

「コロナ禍で休業した」のは、お気の毒だが、「コロナという、あるいは、コロナによる、わざわいで休業した」という意味になるから、用語法としては問題ないと思う。この場合「コロナ(という状況) 下で休業した」とも言える。が、上の文は直接被害を受けたのであり、下の文は直接被害を受けたかどうか分からないから、意味がちがう。両方可と思う

次に、かなり不自然だと思う用法。

「コロナ禍で子供を海に連れて行けない」は、「コロナというわざわいによって、子供を海に連れて行けない」となり、間違っているとは言わないが、「コロナ(という状況)下では、子供を海に連れて行けない」とするほうが、良いのではないだろうか。

さらに非常に変だと思える用法。

「コロナ禍でも健診や持病の治療、お子さまの予防接種などの健康管理は重要です」。これは厚労省のサイトにあった言葉だ。「コロナというわざわいがあっても健康や持病の治療、・・・・・・は重要です」という意味になる。誤用とまでは言えないが、非常に変なのでは。「コロナ(という状況)下でも健康や持病の治療、・・・・・・は重要です」であるべきではないか。

「コロナ禍における中小企業等事業継続支援事業について(抗原検査キット配布)」。これは山形県のサイト。これも同様。「コロナ(という状況)下における・・・・・・」のほうが良いのでは。

「コロナ禍になってから、初めて旅行に行った」と言うと、「コロナというわざわいになってから、初めて旅行に行った」となり、やはり「コロナ(という状況)下で、初めて旅行に行った」ではないのか。

そもそも「コロナ禍」という言葉が変なのでは?コレラ禍、ペスト禍、インフルエンザ禍、などとは言わない。原発事故による放射能禍とも言わない。これらは改めて「禍」を付けるまでもなく、すでにわざわいだからである。

僕自身、日本語に自信がある訳ではなく、時々日本語にうるさい人が「日本語が乱れている」例を挙げてあると、僕の用語法もその中に入っていたりする。だから「コロナ禍」も変だと思うだけだったが、先日、はじめて新聞で「コロナ下」という言葉を見つけた。僕と同じように感じている人がいるんだ、と心強く思って、この文を書きました。

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