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2022年11月

2022年11月15日 (火)

「鎌倉殿の13人」は理想を語るべきだったのではないか?

「鎌倉殿の13人」も終わりに近づいて来て、北条義時が良くも悪くも次第に政治家になっていく過程はよく描かれてはいると思う。これも義時の人間性についての、ひとつの解釈とは言えよう。それにしてもこの解釈を、筋立ての中心に置くのは、大河ドラマとしては暗すぎるのではないか。

今回の義時像を視ていて、僕が一番に感じているのは、大河ドラマはどうあるべきかということだ。義時が三谷氏の推測したような狷介な人柄になっていくのは、説得力があると僕は思う。しかしやはりNHKの大河ドラマらしく、劇中で何らかの理想が語られるべきだったのではないか。

僕は、この義時像によっても、前向きな理想を語ることはできると思っている。坂東の武者たちが、都からの指図から独立したい、という気持ちを持っていたことは、歴史学的にも支持されるようだ。とすれば、これを機軸に義時を絡ませて話を進めても、十分、三谷氏の義時像は生きて来るのではなかったか。

登場人物のかなりの人々が姻戚関係にあることに、まず驚く。それは自分の勢力を安全にし、さらに広げるために行ったはずだ。だからさらに驚くのは、折角姻戚関係を結んでも、平気で殺してしまうことだ。いったい姻戚関係は何のためだったのかと思うのは、僕だけではないだろう。根本にあるのは、財産である自分の土地を守り、さらに拡張することだけのようだ。そのための邪魔になれば、折角結んだ関係も、躊躇なく切り捨ててしまっている。親子の間でさえも不安定だから、婚姻関係などはさらに軽いものになっている。

都の束縛の解消(これは承久の乱によって成し遂げられた)と、坂東内部の原始的な争いを越えて、法による秩序によって社会を運営する、この二つを成し遂げるために、三谷氏の義時像で十分説得力があるストーリーが作れるのではないかと感じる。あるいはその積りで描いているのかもしれないが、僕に伝わって来るのは、義時の権謀術策ばかりなのだが。




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